思いを共有する
年が改まり、1月も下旬になりました。 2006年12月に、テレビで、長女の障害をもたらしたと確信しています、テオフィリンの副作用について知って以来、医薬品医療機器総合機構へ問い合わせをし、機構が窓口となっている救済内容の中の、「障害年金」申請の準備のため、当時関わっていただいた病院・医薬品医療機器総合機構・厚生労働省・田辺三菱製薬などと連絡を取ってきましたが、1月中旬に、ようやく、その申請を済ませることができました。私が、申請の準備のために割くことができる時間が、限られていたこともありましたが、なんと2年以上の時間を要しました。申請に必要な診断書と、任意で提出した茅ヶ崎市立病院のカルテは、幸いにも2007年の春頃準備できましたが、一番重要な、「投薬証明書」や、副作用の原因となった薬の名前が書かれているカルテは、保存の期間が切れていたこと、長女が診ていただいた医院が廃院となり、医師も亡くなられたことから、出てこなかったからです。総合機構の電話口で応対していただいた方々から、「原因となる薬が特定できなければ、書類審査の段階で、救済の対象外とされます。」と何度も聞いてきましたから、痛々しい長女の姿を見ると、みすみす対象外とされることは、したくありませんでした。思いつくままに、当時入院した病院や、厚生労働省・総合機構などへ、何度も電話で問い合わせをしてきましたが、何も進展しないまま、時間だけが、いたずらに過ぎていったのです。
* * * * *
、
こんな状況が、2年近く続きましたが、今月中旬に、ようやく、障害年金請求の書類提出を終えました。提出のきっかけを作ってくださったのは、医薬品医療機器総合機構の方で、昨年11月末に、初めて電話で応対していただいた方です。どういうわけか、その日は、いつもの窓口の方とは違い、その方と話すことができました。「原因と思われる薬を処方した医師が亡くなられ、その医師のカルテも無い状況に加えて、救急車で搬送された病院で診ていただいた医師が、すでに退職しておられため、その医師に連絡を取ってもらえなかったことなどを、「申立書」に書いて、他の申請書類といっしょに、提出
してはどうでしょう。」と、その方は、提案してくださいました。実際に、提案いただいた申立書を書いたことで、それまで二の足を踏んでいた申請書類を総合機構に提出することができました。また、「これで、私たちにできることは、すべてやったんだ。」と思うことができ、私は、重い荷物を降ろしたときのように、心からほっとすることができましたから、「申立書」についてご提案いただいたことに、ただただ感謝でした。
* * * * *
「申立書」を提案された総合機構の方からは、メールで、私の疑問について丁寧にお答えいただいたり、現在の周知活動(前回のブログに掲載しました)についても、詳しいご連絡をいただきました。このブログ(「Tokoのページ」)もご覧いただいたとのことで、コメントもいただきました。医薬品医療機器総合機構には、2年近く、電話口で、門前払いのような応対をされ続けましたから、私は、「この方には、私の思いを、多少でも分かっていただけた。」と、気持ちの面で多いに救われました。救済申請のために、私は、時間や手間の他、多くのエネルギーも費やしてきましたので、その分、救われたという思いは大きかったかもしれません。
* * * * *
昨年末から今年始めに、派遣社員としての仕事を辞めさせられて、派遣村に避難している方々の様子が、たびたび報道されていました。ボランティアの方々の炊き出しや、援助の品の運び込みなどに、感謝している元派遣社員の方々のコメントも聞くことができました。それを見ながら、「大変つらい状況下にあっても、周りの人が、自分を受け入れ、思いを共有し(ようと努め)てくれている。」ということを感じるか感じないかで、当事者の気持ちが救われるかそうでないか、元気が出るかそうでないかが、大きく分かれてしまう気がしました。例えば、周りでそういう方に出会ったら、「私は、あなたのことが気になっています。まず、私にできる小さなことから、お手伝いしますから、いっしょにやってみましょう。」ということばや気持ちをかけることができる自分でありたいと、強く思いました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント