救済制度の矛盾点
8月に、「医薬品副作用の救済制度を活用するために、制度の周知と医師や薬剤師の協力が必要。」という、共同通信社の記事が、関東・四国・九州などのいくつかの新聞で報道されました。私も取材を受け、長女の場合は、「制度を知らなかったために、救済されなかった。」ケースとして、紹介されました。
長女の場合、幼稚園から帰ってから受診し、ぜんそくの薬を処方され、翌日朝、再度受診し、点滴を受けて、帰宅直後に急性脳症になりましたから、私たちは、「点滴などのミスかもしれない。原因を知りたい。」と、入院先の茅ヶ崎市立病院以外の病院の、何人かの医師にも、経過を話し、原因について、伺いました。その医師たちには、「運が悪いケースで、ウイルスが侵入していても、髄液検査で、検出されなかったケースでしょう。」と言われました。もし、当時、「医薬品医療機器総合機構」の存在を知っていたなら、間違いなく、真っ先に問い合わせをしていたことでしょうが、私たちは、機構の存在さえ知らなかったのです。現在ですら、私の知人で、救済制度について知っていた人は、看護士をしている人、一人だけでした。こんな制度ですから、「救済は氷山の一角だ。」と、全国薬害被害者団体連絡協議会世話人の方のコメントも、その通りだと思います。製薬会社の拠出金から、医療費や障害年金や遺族年金が支払われているわけですから、逆に、氷山全体が救済されたとしたら、私は、製薬会社が、破産するかもしれないと思ったりもします。ですから、この救済制度は、製薬会社にとって、「副作用の救済もしっかりやっている。」というポーズに留める必要があったのでしょう。でなければ、補償の額が少なければ少ないほど、氷山が小さければ小さいほど、製薬会社には、都合が良いわけですが、すでに副作用が判明した。薬害エイズやC型肝炎の場合をみても、危険性が分かっていた薬品を、延々と使い続けて、いたずらに氷山を巨大にするようなことをしています。製薬会社が、本気で救済活動に取り組んでいたなら、このような、会社にとっての自殺行為をするはずもありません。
親が制度の存在を知らなかったために、一人では生きていけない弱い立場となった子供に、さらに不利益を負わせたことを考えると、私は、すまなさでいっぱいになります。今分かっているだけの手がかりから調べようとする姿勢もなく、「カルテや証明できるものがないから、救済されない。」という機構の論理には、理不尽さを感じ、口から胸に砂を詰め込まれたような思いがします。国民に、その制度の存在を、十分に知らせることもしないで、19年後に副作用であることに気づき、救済制度も知ったときに、「カルテがないから無効だ。」という論理は、はたして正当化できるのでしょうか。カルテの保存期間は、医療機関サイドの問題なのですから、逆に、救済制度が念頭に置かれ、的確に機能していたなら、カルテの保存期間や方法について議論され、現行と違う保存の仕方が、すでになされていたに違いありません。
また、同新聞の記事は、「副作用では?」と気づいた薬剤師や医師同士が、互いに連携をとり、副作用の被害者を掘り起こしている、珍しい救済の例について、報じていました。たとえ副作用に気がついても、医師に認めてもらえなければ、救済されないのです。医師が自身の責任問題となるのを怖れたりすれば、救済は、難しくなるわけです。医師や薬剤師が誰であろうと、副作用が起きたという事実に基づき、医師同士や、医師と薬剤師・製薬会社などが連携して、同じ質の救済活動を被害者に提供できるような、制度として的確に機能する救済活動となってほしいものです。医薬品医療機器総合機構の仕事が、救済義務の可能性がある人を切り落とす現行型から、その救済活動を、的確に監督・助言するものに変わることを願ってやみません。
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