はっきりした変化

4月に入ったばかりの頃は、スーパーへの行き帰りなど、桜の花・花・花・・・の下を智子と通り、幸せ気分に満たされていたのでしたが、気がつけば、その桜も、すっかり、若葉で覆われました。ここ数日は、葉を広げながら色を増す緑の木々に、時には日よけになってもらったりして、その変化に頼もしささえ感じています。

         

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この4月、智子にも、これまでに見られなかったような変化がやってきました。3月に入って、昼寝の時間が少し短めになったり、トイレ移動時に短く声を出したり(特に父親と一緒のとき)、周りにいる人の様子を良く見るなど、「あらっ?ちょっと違うな。」と感じていたのでしたが、そのどれもが、はっきりと、「変わってきている!」ことを実感できるようになりました。具体的にご紹介します。

日中の睡眠時間が減り、一旦寝て間もなく起き出すことも、たびたびになりました。

部屋の中で、時々、自分で立ち上がり、歩くようになりました。途中テレビにもたれて休憩を取りながら歩くのですが、10分以上も立った状態を続けたときもありました。


部屋の中を歩くときに、立ち止まって、シーリングライトのコードを引っぱるようになりました。天井の方に顔を上げるだけでも、体のバランスを崩して転ぶのではないかとハラハラするのですが、ぶら下がっているコードに手を伸ばして、何回かの空振りの後にしっかりとコードを捕まえて、カチカチ音をたてさせています。(今のところ、コードを引くと、灯りがついたり消えたりすることには、気づいていないようすですが。)


靴を履いて、父親と一緒に、外で、約5分歩きました。


4月17日の夜、fucchiEさんのライブを見に行ったのですが、ずっと起きていて、楽しんでいるのがわかりました。自宅に帰る途中や、帰ってからも、しばらく起きていて、興奮気味でした。


時間を見て排尿を試みていますが、トイレに連れて行くときに、「おしっこよ。」と行っても、立 とうとせず、逆に座り込もうとすることが、たびたび見られるようになりました。どうも、自分が排尿のタイミングでないと感じたときには、立ちたがらないようなのです。


車椅子を準備し始めているのが、窓越しに見えると、うれしそうにじっと見ていて、外出への期待が感じられます。


車椅子にのる前に、回転椅子に座らせると、自分で、靴を置いているベランダ側に椅子を回して足を出したそうにしているのがわかります。


「来客時には、かまってもらえない。」・「今は、相手をしてもらえる。」・「だっこしてもらって、甘えられる。」・「一緒に寝てもらえる。」・「家人が何かしていて、かまってもらえない。」などを理解しているように感じます。


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智子は、上のような変化とともに、顔の表情も、よりはっきりしてきており、相手をしていても、楽しいです。一日一日、未だに変化を見せている智子は、一日一日体が衰えるのと同時に、弱り固くなっていっているだろう私たちの心に、明るい喜びや感動を運んで来て、弾力性を保たせてくれているようです。


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散歩中に、桜に囲まれて。


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自宅付近の駐車場で、歩いた!

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「トピナ」

今日で、四日続きの雨模様。デイサービスの送迎バス乗降時に、雨が落ちていないと、「よかったですね。」とか、「助かります。」を、挨拶のようにしているこのごろです。雨が降っている中、智子を乗降させるときは、病院のベッド横にある、所持品を収納する台の上部についていて、食事のときなどに引っぱり出して使う、あの板と同様の仕掛けが、もし車の屋根に装備されていたなら、「濡れないし、急がなくてもいいし、とても便利だろうな。」と、母は想像したりしています。こんなすっきりしない天気が続く中ですが、智子は、雨にも負けず、元気に過ごしています。

 
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先月5月13日から、智子の抗けいれん剤に、「トピナ」という、新しい薬が、加わりました。現在、2週間ごとに、50mgずつ、増量されているところです。トピナが加わった当初は、寝る時間がやや増え、少し前から立ち上がって歩き始めていたところでしたが、ほとんど立たなくなってきました。表情は、トピナ以前と同様に、良い状況が続いています。トピナ開始後、25日目くらいから、立たせたときに、体がフラフラする感じが少なくなって来たのを感じていましたが、その後、不意に立ち上がってスタスタ歩き始めたり、そのままこわごわ歩いたりもしています。これまでは、便座に智子を座らせて、排尿を待っている間、私は家事などをしながら、智子の様子を見に、トイレへ往復していましたが、このやり方も変えるときが来たようです。本当にびっくりしたことですが、10日くらい前、台所にいた私が、気配を感じた方を見ると、智子が、うれしそうに、部屋の入り口に立っていたのです。もちろん、便座から立ち上がって、下ろしたズボンを引きずって。私が、「智子、恥ずかしーい。」と、急いで、便座に座らせた直後に、智子の排尿があり、ヤレヤレでしたが、私の慌てぶりがおかしかったのか、智子は、うれしそうに手をたたいていました。現在は、排尿を待つときは、トイレの入り口に、椅子を置いて、智子が一人で廊下に出れないようにし、私は、以前よりも頻繁にトイレの智子を見に行くようにしています。そのうち、私は、トイレの前から離れずに、本を片手に、排尿の番をするようになるかもしれません。


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智子の抗けいれん剤は、2006年12月から、一定量が継続されてきた、デパケンR・エクセグラン・ガバペンはそのままで、今回トピナが加えられたわけですが、さらに、薬が増えたことに、私は、気持ちの上で、多少抵抗がありました。ですが、目の前で、手をパチパチ、うれしそうにたたいている智子を見ていると、さらに良い変化が期待できるのでは・・・と、ついつい欲張ってしまうのです。

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救済制度の矛盾点

8月に、「医薬品副作用の救済制度を活用するために、制度の周知と医師や薬剤師の協力が必要。」という、共同通信社の記事が、関東・四国・九州などのいくつかの新聞で報道されました。私も取材を受け、長女の場合は、「制度を知らなかったために、救済されなかった。」ケースとして、紹介されました。


長女の場合、幼稚園から帰ってから受診し、ぜんそくの薬を処方され、翌日朝、再度受診し、点滴を受けて、帰宅直後に急性脳症になりましたから、私たちは、「点滴などのミスかもしれない。原因を知りたい。」と、入院先の茅ヶ崎市立病院以外の病院の、何人かの医師にも、経過を話し、原因について、伺いました。その医師たちには、「運が悪いケースで、ウイルスが侵入していても、髄液検査で、検出されなかったケースでしょう。」と言われました。もし、当時、「医薬品医療機器総合機構」の存在を知っていたなら、間違いなく、真っ先に問い合わせをしていたことでしょうが、私たちは、機構の存在さえ知らなかったのです。現在ですら、私の知人で、救済制度について知っていた人は、看護士をしている人、一人だけでした。こんな制度ですから、「救済は氷山の一角だ。」と、全国薬害被害者団体連絡協議会世話人の方のコメントも、その通りだと思います。製薬会社の拠出金から、医療費や障害年金や遺族年金が支払われているわけですから、逆に、氷山全体が救済されたとしたら、私は、製薬会社が、破産するかもしれないと思ったりもします。ですから、この救済制度は、製薬会社にとって、「副作用の救済もしっかりやっている。」というポーズに留める必要があったのでしょう。でなければ、補償の額が少なければ少ないほど、氷山が小さければ小さいほど、製薬会社には、都合が良いわけですが、すでに副作用が判明した。薬害エイズやC型肝炎の場合をみても、危険性が分かっていた薬品を、延々と使い続けて、いたずらに氷山を巨大にするようなことをしています。製薬会社が、本気で救済活動に取り組んでいたなら、このような、会社にとっての自殺行為をするはずもありません。


親が制度の存在を知らなかったために、一人では生きていけない弱い立場となった子供に、さらに不利益を負わせたことを考えると、私は、すまなさでいっぱいになります。今分かっているだけの手がかりから調べようとする姿勢もなく、「カルテや証明できるものがないから、救済されない。」という機構の論理には、理不尽さを感じ、口から胸に砂を詰め込まれたような思いがします。国民に、その制度の存在を、十分に知らせることもしないで、19年後に副作用であることに気づき、救済制度も知ったときに、「カルテがないから無効だ。」という論理は、はたして正当化できるのでしょうか。カルテの保存期間は、医療機関サイドの問題なのですから、逆に、救済制度が念頭に置かれ、的確に機能していたなら、カルテの保存期間や方法について議論され、現行と違う保存の仕方が、すでになされていたに違いありません。


また、同新聞の記事は、「副作用では?」と気づいた薬剤師や医師同士が、互いに連携をとり、副作用の被害者を掘り起こしている、珍しい救済の例について、報じていました。たとえ副作用に気がついても、医師に認めてもらえなければ、救済されないのです。医師が自身の責任問題となるのを怖れたりすれば、救済は、難しくなるわけです。医師や薬剤師が誰であろうと、副作用が起きたという事実に基づき、医師同士や、医師と薬剤師・製薬会社などが連携して、同じ質の救済活動を被害者に提供できるような、制度として的確に機能する救済活動となってほしいものです。医薬品医療機器総合機構の仕事が、救済義務の可能性がある人を切り落とす現行型から、その救済活動を、的確に監督・助言するものに変わることを願ってやみません。

 


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迷走神経刺激療法が認可されることに

長女が迷走神経刺激療法で診察していただいている,東大病院の河合医師から、今月の初めに、「迷走神経刺激療法が、日本でも認可されることになりました。」というお知らせがありました。長女は、迷走神経刺激療法の埋め込み手術を、3年半ほど前にアメリカで受け、その後、河合医師に、胸に埋め込んだジェネレーターの調整はじめ、経過を診ていただいてきました。初めて河合医師にお会いした折り、「迷走神経刺激療法は、欧米では認可されているのに対し、日本では、まだ認可されておらず、希望する患者さんが、個人輸入して、埋め込み手術をしなければならず、多額の費用が伴います。厚生労働省に、認可や保健適応を、お願いしているところです。」というお話を伺ったように記憶しています。とうとう、認可が実現するということを伺い、河合先生の長年にわたるご尽力を思い、お礼の気持ちでいっぱいです。

   迷走神経刺激療法については、河合先生のホーム
   ページをご参照ください。
   http://plaza.umin.ac.jp/~kenkawai/#


長女は、迷走神経刺激療法の手術を受けてからこれまでに、それまでになかったような、びっくりするような変化を見せました。中でも、トイレで排尿することが、約9割になったことと、顔や目の表情が、はっきりしてきたことは、迷走神経刺激療法によるものと確信しています。手術当時、医師より、けいれんが改善する確率は、65%の人だというお話があり、実際に、長女のけいれんは、ほとんど、改善はみられませんでしたが、思いもかけないところでの大きな進歩でした。てんかん発作がある患者さんにとって、今までにない、革命的・画期的な治療方法だと思いますから、欧米のように、日本でも、多くの方が、この治療を普通に受けることができることが決まって、本当によかったと思います。長女の場合は、手術の費用の大部分を、保険でカバーしてもらうことができましたから、大変助かりましたので、認可の実施に併せ、保険適応の対象となることも、強く希望します。


3年前には、私の周りの医師やけいれんのある障害者のほとんどが、迷走神経刺激療法について、聞いたこともないという状況でした。近い将来には、この治療方法が一般化し、患者さんたちが、治療の選択肢の一つとして、自由に迷走神経刺激療法を選ぶことができるようになっていることを願ってやみません。

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20年経ちました

20年前の昨日、10月21日に、智子は、原因不明の急性脳症になりました。以来、智子は、重い知恵遅れと肢体不自由の体で、周りの人と同じ時間を過ごしてきました。入院から今までを振り返ると、私たちが出会った人たちのお顔や、そのときどきのお話しが、写真を見るようにくっきり思い出され、その数の多さに、20年の長さを実感しているところです。それらのお話しの中でも、特に強烈な印象を残し、私の中で光り続けている、3つのお言葉をご紹介したいと思います。

*    *    *

「トコちゃんは生きているじゃない、それだけでいいですよ。」(入院中、脳腫瘍で亡くなった、ベッドが隣だったゆきちゃんのお母さん)


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「どんな形でも、そこに行って過ごすだけの体力があるなら、どんなに重い障害があっても、この子たちには、普通学級が良いと思います。」(退院後、リハビリに通った、藤沢市の通園施設「ゆうかり園」のH先生)


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「普通学級は、一番良い選択でした。子供たちの声や動きほど、刺激的なものは、他では得られませんから。」(茅ヶ崎市立病院で受診した、小児神経のA先生)


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上の方々に出会い、お言葉を伺えたのは、本当に幸運でした。特に、「智子を、私たちと同じ、普通の状況の中で、自然に過ごさせたい。」という思いが芽生え、その思いを、私たちなりに多少でも実現できたことに、感謝します。実際に体験し、まさに、お言葉のとおりだったと思います。また、今も、その思いが、力強く生き続けていることに、心からお礼の気持ちでいっぱいです。


この先、智子はじめ私たちが、どうなっていくのかは、まるでわかりません。親は年をとって衰えていきますから、不安もありますが、この20年を歩いて来たように、「そのときどきで、良いと思うことを選んでいけば、智子にとって、良い状況でいることができるのでは。」と、信じて、これからも1日1日を過ごしていきたいと思います。私たち家族が、周りの人たちとつながって過ごし、その中で、智子も自然体で過ごせる「普通」を念頭に置いて・・・。


最後に、この20年、智子や私たちのことを気遣い、かかわってくださった皆様、本当にありがとうございます。おかげさまで、智子は元気です。これからも、よろしくお願いします。


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スーパーへ買い物に行く、いつもの道で。

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田辺三菱製薬会社の回答

 昨年11月に、 「田辺三菱製薬に、気管支拡張剤のテオフィリンが、アメリカで禁止されたあと、日本で使われ続けられ、現在も使われているのはどうしてですかと尋ねてみました。お返事が届きましたら、ご紹介したいと思います。」と書きました。
 今年の春4月12日にお返事をいただきましたが、田辺三菱製薬の対応に、すぐに掲載する気になれず、そのままになっていました。ごめんなさい。ずいぶん時間が経ってしまいましたが、今回、文書でいただいた、上の私の質問へのお返事と、後日いただいたテオフィリンの歴史について、ご紹介したいと思います。


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 以下は、田辺三菱製薬のくすり相談センターから届いた文書のコピーです。

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[照会1]
米国ではテオフィリン製剤は販売中止となったが、日本では未だに販売されている理由は?

[回答1]
・現時点で、米国で製造販売されているテオフィリン徐放製剤は無いことは判っておりますが、海外製造の徐放製剤が米国内で販売されていないかまでは確認出来ておりません。

・米国でテオフィリン徐放製剤の製造販売が中止された理由は、安全性に関する問題ではなく、治療の主流が吸入ステロイド剤であったことから、販売量の減少が最大の理由と聞いています。

・尚、米国で販売されていたテオフィリン徐放製剤は錠剤であり、シロップやドライシロップの様な剤型は開発が検討されていたものの、発売には至っておりません。

・当時日本において、気管支喘息の治療にステロイド剤が主流とならなかった理由には、ステロイドの副作用を気にする国民性があったと思われます。

・特に小児においては、ステロイド剤吸入マスクが嵩張り使い難かったことも、一因と考えられます。

・日本におけるテオフィリン徐放製剤の普及には、テオフィリンの血中濃度を適切に管理出来る簡便な
血中濃度測定機器と血中濃度解析ソフトが開発され、同時に普及したことが大きな理由です。

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[照会2]
1995年当時に日本ではテオドールドライシロップの販売が始まったが、何故、米国で販売中止された製剤の小児用剤型が販売されたのは何故か?

[回答2]
・日本においては、テオフィリンの血中濃度を適切に管理出来る簡便な血中濃度測定機器と血中濃度解析ソフトの普及に伴い、テオフィリン徐放製剤は薬剤価格的にも安価であり、気管支拡張作用と共に抗炎症作用を有すること、患者さんに内服させ易さからも、医療関係者から種々の徐放剤型の要望がありましたことから、顆粒・シロップ・ドライシロップが開発され上市に至っております。

                                   以上

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また、田辺三菱製薬から、4月16日に、テオフィリンの歴史についての年表いただきましたが、同封された文書を、以下にコピーします。

大まかに概略を記載しますと下記になります。

・1859年 Salterは濃いコーヒーが喘息治療に有効であることを報告

・1888年 Kosselはカフェインよりも気管支平滑筋拡張作用がはるかに強力であるテオフィリンを茶葉から抽出単離

・1937年 Herrmannらが気管支喘息の急性発作に対するテオフィリン(アミノフィリン)の臨床的有用性を報告

・1970年 テオフィリンの有効血中濃度の概念の確立
徐放製剤の開発

・1980年 1984 年テオドール錠100mg・200mg日本で発売

・1990年 テオフィリンの抗炎症作用報告
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ブログ掲載が遅くなりましたが、お返事いただきました田辺三菱製薬さんに、お礼申しあげます。
 

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救済制度、機構の周知活動

いよいよ冬本番になってきました。北九州は、ここ数日、雪も舞い、冷え込みました。今日は、寒さがゆるみ、ほっと一息です。先日、調剤薬局へ行った折、副作用の救済制度を知らせるチラシを、薬剤師さんから手渡しでいただきました。「機構が変わり始めた。」ことを実感した瞬間でした。

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私は、救済制度について、テレビ報道に出られた方に教えていただき、初めて医薬品医療機器合機構に問い合わせて以来、これまでに、何度も、次のように、機構の方に話してきました。
「長女が急性脳症になった、1988年当時、私たちは、薬の副作用救済制度について知りませんでした。当時、私たちは、半日ほどで、様子が変わってしまった長女の変化に、医療ミスも疑い、遠くの病院まで出かけて、長女の急性脳症の原因について、そこの病院の医師に尋ねたりもしました。もし、救済制度について知っていたなら、真っ先に、機構に問い合わせをしたことでしょうが、本当に残念なことに、私たちは、当時、救済制度について、聞いたこともありませんでした。原因を知りたいと尋ねた3人の医師たちの見解は、どなたも同じで、運悪く何らかのウイルスが体に入り、検出されなかったケースというものでした。これを聞いて、私たちは、医療ミスという疑いを吹き飛ばしてしまったのです。あれから、18年後に、テオフィリンが急性脳症を起こすというテレビ報道を見たわけですが、以来約2年、私の周囲の多くの人たちに、テオフィリンの危険性と副作用救済制度について、チラシを配ったり話したりしてきました。その周囲の人たちの中で、救済制度について、すでに知っていた人は、病院で働いた経験がある人、たった一人だけでした。機構の方が、いろいろな周知活動をしていますと言われるにしては、知っている人が、あまりにも少ないです。同じように副作用を負ったにもかかわらず、制度を知っていたわずかの人だけが、救済制度を利用でき、知らなかった人は、利用できないというのは、おかしいのではありませんか?」


これに対して、医薬品医療機器救済機構から、現在までの周知活動について、実施されたことをメールで教えていただきました。私が予想していたよりも、はるかに多くの活動内容でした。下にご紹介します。


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平成16年より、医薬品医療機器総合機構も独立行政法人となり、医療機関や国民の皆様に周知するため新聞広告やパンフレットの配布等を行ってきました。
過去4ヶ年の主な広報は
平成16年度
・全国紙等による広告掲載(朝刊7紙、平成17年3月6日(日)掲載)
  読売新聞、朝日新聞、北海道新聞、河北新報、中日新聞、中国新聞、西日本新聞 
・一般週刊誌による広報記事掲載3誌
  週刊朝日 平成17年3月29日(火)発売4月8日増大号
  週刊文春 平成17年3月31日(木)発売4月7日号
  週刊新潮 平成17年3月31日(木)発売4月7日号
・薬袋を利用した広報
  印刷部数1,500,000枚(薬局500店舗)
・薬局・薬店等への広報
  都道府県薬剤師会(47カ所)及び支部(778カ所)
  薬局・薬店へ救済制度のリーフレットとQ&Aを発送(48,652カ所)

平成17年度
・インターネットのバナー広報
 4つの医療関係者向けサイト(1ヶ月)
 6つの総合サイト(一般)(3ヶ月)
・地方紙等による広報
 地方紙30紙、ブロック紙3紙、1回 平成17年12月11日(日)掲載
 北海道新聞、中日新聞、西日本新聞の3ブロック紙
 東奥日報、秋田魁新報、岩手日報などの地方紙30紙
・薬袋を利用した広報
 印刷枚数4,422,000枚 薬局420店舗

平成18年度
・インターネットのバナー広報
 2つの医療関係者向けサイト(5ヶ月)
 7つの総合サイト(一般)(5ヶ月)
・冊子及び冊子を要約した動画による広報(冊子・DVDの配布)
 日本医師会雑誌(17万部)、日本薬剤師会雑誌(10万部)
・薬袋を利用した広報
 印刷枚数4,450,000枚 薬局419店舗)

平成19年度
・インターネットのバナー広報
 4つの医療関係者向けサイト(5ヶ月)
 7つの総合サイト(一般)(5ヶ月)
・冊子及び冊子を要約した動画による広報(冊子・DVDの配布)
 日本医師会雑誌(15万部)、日本薬剤師会雑誌(10万部)
・医療機関へポスターを配布
 日本医師会雑誌(15万部)、薬剤師会雑誌(10万部)

○この他、毎年、厚生労働省が10月に実施する「薬と健康の週間」http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/d_health/index.html
パンフレットに救済制度の相談窓口を掲載。

○政府広報番組での紹介http://www.gov-online.go.jp/pr/media/tv/myjpn/movie/20081011.html

 ○日本薬剤師会の協力により「お薬手帳」に救済制度を紹介。
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平成16年以前は、国民に対して、周知についての活動は、ほとんどなされていなかったようですが、
少なくても、ここ数年は、上のように取り組んでこられ、今、より実際的で、効果に期待できそうな周知活動も準備中ということですから、機構が、周知に力を入れていることに、本当に安心しました。


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落ち葉も、そろそろ終わりになりました
(いつもの、散歩道で)

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思いを共有する

年が改まり、1月も下旬になりました。 2006年12月に、テレビで、長女の障害をもたらしたと確信しています、テオフィリンの副作用について知って以来、医薬品医療機器総合機構へ問い合わせをし、機構が窓口となっている救済内容の中の、「障害年金」申請の準備のため、当時関わっていただいた病院・医薬品医療機器総合機構・厚生労働省・田辺三菱製薬などと連絡を取ってきましたが、1月中旬に、ようやく、その申請を済ませることができました。私が、申請の準備のために割くことができる時間が、限られていたこともありましたが、なんと2年以上の時間を要しました。申請に必要な診断書と、任意で提出した茅ヶ崎市立病院のカルテは、幸いにも2007年の春頃準備できましたが、一番重要な、「投薬証明書」や、副作用の原因となった薬の名前が書かれているカルテは、保存の期間が切れていたこと、長女が診ていただいた医院が廃院となり、医師も亡くなられたことから、出てこなかったからです。総合機構の電話口で応対していただいた方々から、「原因となる薬が特定できなければ、書類審査の段階で、救済の対象外とされます。」と何度も聞いてきましたから、痛々しい長女の姿を見ると、みすみす対象外とされることは、したくありませんでした。思いつくままに、当時入院した病院や、厚生労働省・総合機構などへ、何度も電話で問い合わせをしてきましたが、何も進展しないまま、時間だけが、いたずらに過ぎていったのです。


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こんな状況が、2年近く続きましたが、今月中旬に、ようやく、障害年金請求の書類提出を終えました。提出のきっかけを作ってくださったのは、医薬品医療機器総合機構の方で、昨年11月末に、初めて電話で応対していただいた方です。どういうわけか、その日は、いつもの窓口の方とは違い、その方と話すことができました。「原因と思われる薬を処方した医師が亡くなられ、その医師のカルテも無い状況に加えて、救急車で搬送された病院で診ていただいた医師が、すでに退職しておられため、その医師に連絡を取ってもらえなかったことなどを、「申立書」に書いて、他の申請書類といっしょに、提出
してはどうでしょう。」と、その方は、提案してくださいました。実際に、提案いただいた申立書を書いたことで、それまで二の足を踏んでいた申請書類を総合機構に提出することができました。また、「これで、私たちにできることは、すべてやったんだ。」と思うことができ、私は、重い荷物を降ろしたときのように、心からほっとすることができましたから、「申立書」についてご提案いただいたことに、ただただ感謝でした。

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「申立書」を提案された総合機構の方からは、メールで、私の疑問について丁寧にお答えいただいたり、現在の周知活動(前回のブログに掲載しました)についても、詳しいご連絡をいただきました。このブログ(「Tokoのページ」)もご覧いただいたとのことで、コメントもいただきました。医薬品医療機器総合機構には、2年近く、電話口で、門前払いのような応対をされ続けましたから、私は、「この方には、私の思いを、多少でも分かっていただけた。」と、気持ちの面で多いに救われました。救済申請のために、私は、時間や手間の他、多くのエネルギーも費やしてきましたので、その分、救われたという思いは大きかったかもしれません。

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昨年末から今年始めに、派遣社員としての仕事を辞めさせられて、派遣村に避難している方々の様子が、たびたび報道されていました。ボランティアの方々の炊き出しや、援助の品の運び込みなどに、感謝している元派遣社員の方々のコメントも聞くことができました。それを見ながら、「大変つらい状況下にあっても、周りの人が、自分を受け入れ、思いを共有し(ようと努め)てくれている。」ということを感じるか感じないかで、当事者の気持ちが救われるかそうでないか、元気が出るかそうでないかが、大きく分かれてしまう気がしました。例えば、周りでそういう方に出会ったら、「私は、あなたのことが気になっています。まず、私にできる小さなことから、お手伝いしますから、いっしょにやってみましょう。」ということばや気持ちをかけることができる自分でありたいと、強く思いました。

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すばらしい車椅子

3月23日、智子は、東大病院の川合先生に、迷走神経刺激療法の、胸に埋め込まれている「ジェネレーター」という器具の、調子をチェックしていただきました。川合先生は、「ジェネレーターは、順調に機能しています。現在、埋め込み手術後4年経ったところですが、電池が消耗してしまわないうちに、取り替え手術が必要になります。ジェネレーターの初めの設定の状況からすると、早ければ、来年くらいに、取り替えなければならないかもしれませんが、ちょうど、迷走神経刺激療法が認可され、取り替え手術の頃には、手術が保険適応になっていると良いですね。」とお話しくださいました。「迷走神経刺激療法」
が確実に一般化されようとしているのを感じ、うれしく思いました。

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 今回の受診にも、智子が修学前に、藤沢のゆうかり園で、障害者の子供と親の立場に立って発言し、これまでずっと、私たちのことを気遣ってくださったH先生が、同行下さいました。東大病院を後にした私たちは、無縁坂を抜けて、上野公園まで足を伸ばしました。月曜日で、いくつかの美術館や動物園などが休館の中、唯一開いていた都立美術館へ行ってみると、その日は、障害者のために開かれていたことがわかり、智子や私たちは、偶然、中に入れていただくことができました(本来は、予約制とのことでしたが。)「普段は、多くの方が入館し、障害者の方がご覧になるのが困難な状況ですから、休館日に開いています。」とのことでした。

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 偶然入館できた都立美術館でしたが、そこで、今まで見たことがなかった、すばらしい車椅子に、出会いました。入館時まで、ちょうど、H先生と車椅子の使い勝手の話しをしていましたので、その車椅子に目がとまったのです。私が、その車椅子について尋ねると、後ろで押されてたお母様も、椅子上の女性も、その車椅子が使い易く、大変気に入っているとのことで、快く、熱心に、長所を具体的にお話しくださいました。次ぎにご紹介します。

*横から見ると、椅子の座面が、床に平行でなく、お尻の方が下がる形になっているので、体が、前にずれていくこともなく、ベルトも要らない。座面には、クッションも要らない。
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*タイヤについては、従来のスポークの役目を、軽量のグラスファイバーでできている十字型の板状のものがしているのと、タイヤが細いので、タイヤや車椅子が軽くなることに加え、タイヤも外れるので、車や狭いところに、収納しやすい。(介助を試させていただくと、片手で、軽く押すことができました。)


*タイヤによって、直角に曲がるときなど、従来のものよりも、小回りが利くので、狭いスペースで、曲がることができる。(ちょっと試させていただきましたが、そのとおりでした。)


*タイヤ(前輪・後輪・転倒防止用のもの)のほか・車椅子の金属でできたパイプの骨組みの部分・座面と背もたれがつながっている布状の部分・肘掛け・介助者が押す取っ手・足を載せる台・後ろのポケットなどなど、すべてのパーツはもとより、色も、購入者が、自分で選ぶことができる。(その女性自身も、すてきな感じの方でしたが、車椅子も、赤と黒を基調に、おしゃれな感じのものでした。)


*例えば、タイヤを取り付けるための穴がいくつかあり、その中から、自分に都合の良い位置で、タイヤを取り付けることができる、また、座面と背もたれ部分がつながった布状のものも、折り曲げ具合で背もたれの長さ調節ができるなどのほか、組み立ても、自分の体に合ったものにできる。


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実際に使用されている女性は、「この車椅子は、OX(オウエックス)社のもので、購入費は多少割高かも知れませんが、購入して12年経った現在でも、購入時と同様に使う事ができていますから、使い勝手を考えれば、こちらの方がはるかに良いです。」とお話しくださいました。「智子の車椅子を買い替える時がきたら、そのときは、このOX(オウエックス)社のものにしよう。」と思って、帰途につきました。初めてお会いした方が、こんなにご親切に、かなりの時間お話ししてくださったことに、びっくりしたり感謝したりしながら・・・。


その日、上野公園の桜は、咲き始めたばかりでしたが、今は、満開のことでしょう。


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人生をメチャメチャにされないために

6月4日、17年前に4歳の女児が犠牲になった足利事件の犯人とされた菅家さんが、犯人でなかったことがわかり、釈放されたニュースが報道されました。インタビューで、菅家さんは、「人生をメチャメチャにされました。警察や検察官に謝ってほしいです。」と言われていました。「ああ、ここにも、犠牲になった人が、また一人・・・。」と、悲しみとも怒りともつかない思いがこみあげて来ました。私が知っているだけでも、「人生をメチャメチャにされた」に違いない人たちには、薬害エイズ・C型肝炎などの薬害、アスベストの被害、水俣病・カネミ油症などの公害、拉致被害、原爆被害の方々などがありますが、加えて、この頃増えている犯罪や事故による被害などのニュースに触れるたびに、人生をメチャメチャにされた人たちや家族が、慟哭し、悲しむ姿が見えるようで、私は、怒りでいっぱいになります。


  

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上に書いたさまざまな被害によって、被害を受けた本人は、生涯背負わなければならない、押しつぶされそうな重荷を強いられることになり、気持ちや身体面の負担が大きくなることは、長女を見ていても明らかですが、被害を与えた側にとっても、結果的にみれば、賠償や服役など大きな負担を伴うことは、すでに明らかになっているのではないでしょうか。どちらの側にとっても、プラスになることは何もないのです。被害者は、そんな無駄なことのために、かけがえのない人生を棒に振らなければならないのです。本来の人生は、どんなことをしても、もう戻ってこないのです。長女を見ていると、一生懸命積み上げていた積み木を、誰かが、ふとした出来心で、一瞬のうちに崩してしまって通り過ぎ、長女が、その残骸を再び積み上げるために四苦八苦しているようで、何とも痛々しいです。


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数日前の「クローズアップ現代」という番組で、「抗うつ薬の副作用で犯罪に走る」ことが、取り上げられていました。アメリカでは5年前に起きた事件をきっかけに、因果関係が明確にならなくても、その副作用の危険性が公表されていたにも関わらず、日本では、この頃になって、ようやく発表されたということです。番組で、専門家は、その理由について、「日本では、慎重に調べて、因果関係が明確にされなければ、公表しないという体質があるからでしょう。」というようなことを言われていました。薬害などについて、慎重に調べることは望ましいことかもしれませんが、もし本当に被害を及ぼす薬の場合、調べている間に、被害者が次々に増えていくことが推測できます。確かに、人間は完璧ではありませんから、被害を及ぼすような薬を作ることもあるでしょう。そんな場合でも、被害者を最小限度にするために、被害事実の報告だけは、公表されるような仕組みを作っていただけたらと思います。患者に薬を投与する場合、その薬の副作用の事実や可能性について、まず医師が知らせ、その薬の服用については、患者が決めるような仕組みができる事を希望します。これ以上、薬で「人生をメチャメチャにされた」人を出さないために。

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